こんにちは。
いつもはサイバーセキュリティに関連した
話をしていますが、
たまに違うトピックでも
書いていきたいと思っています。
今回は転職についてです。
前にも転職について思うままに書いた記事があるのですが、
今回は僕の実際の経験について書きます。
僕は3年前からサイバーセキュリティベンダーに努めていますが、
大学卒業後はホテル業界にいました。
ホテル業界でITをやっていたわけでもなく、
最前線でベルボーイをやっていました。
世の中探してもなかなか無い経歴だと
よく言われるので、
なぜその道を辿ったのか、
簡単に書いていきたいと思います。
「大卒でホテル業界を目指したのはなぜか?」
経歴が興味深いので面接でもよく聞かれます。
確かに、ホテルマンであった当時も
なぜ大卒でホテルマンになったのと、
同僚によく聞かれました。
ホテル業界を目指す人には、
いわゆるホテルスクール(2年制の専門学校)を
出ている人が多く、
わざわざ4年かけて修士を取って
ホテルに就職することが珍しかったのです。
ホテルスクール卒の新卒の同僚たちは、
基本的に2つ年齢が下なのですが、
さすが接客のプロに
仕上げられているだけあって、
一つ一つの動きに品があり、
言葉遣いや立ち振る舞いが
美しい人が多く、
レストラン勤務の時は
そこに美学を持っている先輩も
いました。
(その人の立ち振る舞いは圧倒的でした)
なので2年人生経験は長いものの、
当然ながらむしろ後れを取るわけで、
同僚の動きなどを真似したりしながら
ひたすらがむしゃらに頑張ってました。
そんな現実が待ち受けているにも関わらずなぜ
ホテル業界を選んだのか。
大卒だとホテルの営業や
オフィスワークにつけるから、
というわけではありません。
やりたかったのは
「ホテルマン」です。
ここまで溜めて話すことでも
ないのですが、
理由は単純に
憧れがあったから
です。
小さいころに割と近所のホテルに
親と一緒に行ったときに
広い館内で親とはぐれて迷ってしまったんですが、
その不安な状況の中で
ホテルマンが声をかけてくれて、
助けてくれたんです。
その時の立ち振る舞いの美しさとか、
優しさとか、
正直当時の記憶は
ほとんどないのですが、
あの時のホテルマンすごくカッコよかったな
という意識だけが残っていました。
とはいえ就活シーズンになるまでは
とにかく選択肢を狭めたくなかったので、
無難に大学に入り(とはいえ無名大学ですが)、
普通の遊び呆けている学生でした…。
もちろん有名企業に入れるような
経歴でもなかったので、
就活は難航する予定だったんです。
就職活動には、
業界ごとにだいたいの活動シーズンがあるみたいなんですが、
何もわからないままがむしゃらに、
一番シーズンが早かった金融業と専門商社から始まり、
そして無事に落ちまくる日々。
そしてその次に就活イベントが多かったのが
ホテル業界だったんです。
イベントでは
ホテルマンの輝きとか、
高級ホテルの豪華さとか、
そういう一面が散りばめられるので、
まんまと感化された単純な僕は、
ホテルマンへの憧れを思い出していました。
専門商社の採用試験も
ほぼ同時期に進んではいたのですが、
面接時にホテルに実際に行って
一番感銘を受けたホテルに就職することを
決めました。
ということでホテル業界に入ったのですが、
大卒もホテルスクール卒も全員いろんな
前線の部署に配属が振り分けられます。
その配属先には宿泊課、レストラン課、バンケット課、
ウエディング課など、様々な課があるのですが、
僕は体育会系な感じのグループに分類されていたようで、
レストラン課に配属されました。
宿泊課(ここがいわゆるベルボーイなどの課)が
ホテルマンの一般的なイメージで
かつ夜勤があったりして大変なイメージがあったりしますが、
レストランの業務はそれはもう過酷でした。
配属されたレストランは
朝6時から夜11時までの営業時間の為
忙しなく一日中動き回っている部署で、
且つ夜の片づけと朝食の準備があるため
夜勤がありました。
その時は2交代制だったので
定時では17時出勤で25時退勤、
仮眠室で休憩し、
翌朝5時出勤の13時退勤という感じでした。
が、朝・昼・夜それぞれの
ピーク時間の都合があるので、
実際には14時出勤の翌日14時退勤というのが
定番の夜勤シフトでした。
日勤も繁忙期になると
セブンイレブンと呼ばれるシフト
(文字通り7時から23時)
があったりとぶっ飛んだ勤務でした。
ただいい意味で
同僚、先輩、上司も
全員ぶっ飛んでいて
忙しいのもあって
一日中みんなで暴れまくって
いつの間にか時間が過ぎている。
そんな楽しい職場でした。
そして10か月くらいで人事異動になり、
大卒従業員はいろんな部署を回されるので次の部署に。
その異動先が宿泊課ベルでした。
ベルはレストランに比べると
激しい課ではないですが、
さすがはホテルマンと言えば、な部署
だけあってなんか品のある感じでした。
もちろん夜勤もあったんですが、
レストラン上がりからしたらタフさは
全く感じませんでした。
上司が目に留めてくれて、
よくお世話してくれたのもあり、
割とすぐにベルデスクの管理職的なことを任されたり、
環境には引き続き恵まれていて
とても楽しくやってました。
部長には
大卒の典型的な流れで最終的に営業とかやりたいか、
このままサービスの前線で活躍したいかでいうと
どっちがいいか。と問われ、
本気で
ベルマンとしてやっていきたい
と答えたところ、
将来マネージャーになれるように
意識しながら業務に向かわせてくれて、
その部長への憧れもあり、
仕事へのモチベーションはすごく高かったと思います。
ところが、
結婚とか子供とか、将来のこととかを
いろいろ考えはじめ、
自分の人生について
ふと考えたときに、
逆にその部長への憧れが
懸念に変わってしまいました。
部長は
お客様の最善の状況を整えるために
誰よりも率先して行動し、
割と朝から晩まで働いていました。
裏では家族仲良しとしても
有名な部長でしたが、
仕事への気持ちも熱い人でした。
そこがカッコよかったんですが、
それでいいのかと疑い出した途端
憧れではありますが、将来の理想像では
無くなってしまったんです…。
転職を決意したのはいいものの、
特にやりたいこともなく、
でも早くホテル業界を出ないとどこにも行けなくなる
という何となくな強迫観念があったので、
とにかく普通のサラリーマン的な
仕事でホテル業界から関連している仕事
を探していました。
安易ではありますが、
旅行業界ならホテルでの経験を活かせる(と言い切れる)
と思ってました。
実際に、
採用試験が上手くいき、転職した先は
外資の旅行業界でした。
英語は嫌いではないですが、
留学経験もないためそんなにしゃべれるわけでもないという感じでした。
嫌いではないというか好きだったので、
英語を強制的に話すしかない状況を作りたくて
ホテルを選んだっていうのもあります。
で、その延長で外資系に挑戦したのですが
英語面接(相手は日本人でしたが)も何とか通り、
ホテルでの経験云々もうまく伝わり、
ホテル向けのサポート担当として採用されました。
タフさなんてほとんどなく、
オフィスもすごくモダンできれいで、
残業もないホワイトな感じでした。
(ちなみにホテル時代も残業代は
しっかり支払われていたので
ブラックだったというわけではないです。)
ただ電話嫌いだったのと、
(今でも好きではないですが笑)
PCのタイピングもままならなかったので、
ある意味ものすごくタフな業務ではありました。
タイピングなんて絶対必要だと思いながら
決定的な動機がなくサボっていたので、
タイピングが求められる(しかも記録は英語でした)業務は
やりがいしかなかったです。
当時の英語で記録していた名残で
何となく今も英語でメモを残すこともありますが、
今はだいぶその癖はなくなりました笑
今も外資系ですが、
あの時ほど外資系文化な感じの企業は
なかったです。笑
英語もタイピングも強いられつつ、
キャリアパスとしてはこれ以上ないものだったと思います。
で、ずっとそこに残ろうとは思っていなかったのですが、
この次どんな仕事がいいんだろうと考えても思いつかず、
気づけば2年近く経過していました。
何をきっかけに
ITに興味を持ったのかと言えば、
明確な答えがあります。
結論から先に言うと、
日本人のITリテラシーの低さが
心配になったから。
です…。
当時ホテル向けのサポートデスクだったので、
ホテルの運営者から電話が来るわけなんですが、
Webサービスを提供している以上、
問い合わせもWebサービスに関するものがほとんどです。
その中には
管理ポータルにログインできない
とか、
申請の仕方がわからない
とか、
そんな内容がかなり多かったんですが、
その時に案内の中にある
ブラウザの設定だったり基本的な用語などが
全く分からなかったりする状況が多くありました。
ご年配の方であればわかるのですが、
まだ中年の範囲内の
運営者であっても、
最悪の場合自分のメールアドレスが
分からなかったり、
恐る恐る「キャッシュクリア…」とか
言ってみたもんなら
電話を切られる始末。。。
もちろん誰でも伝わるように
説明できるのが
プロの仕事。
ですが、IT用語?を如何に上手く伝えるかに
一番苦労しました。
そんな中、
デービッド・アトキンソンさんの
世界一訪れたい日本のつくりかた
という本に出会いました。
旅行・観光業界の面白さと
日本の将来についての考察が
非常に洗練された内容で記されているので、
その内容に感動してさらに
同じデービッド・アトキンソンさんの
新・観光立国論も読みました。
続けて
いろいろな本を読み漁っているうちに、
なぜか旅行業の将来ではなく、
ITリテラシーの低さによる日本の将来の心配が
膨れ上がり、
日本をITでよくしたい。
という謎の圧倒的にぼんやりした夢みたいなものが
出来上がりました。
というのがIT業界に興味を持った理由です。笑
IT企業1社目は、
セキュリティ企業ではなく
インフラ系のハードウェアメーカー
でした。
とにかくやる気はあったのと、
旅行業界に移った時みたいに
それまでの経験を活かせると
無理矢理こじつけたのと、
とにかくまだ若かったので
ポテンシャル狙いで行けたのが
功を奏し、
無事採用されました。
そこで事務の仕事をしながら、
ITの世界に触れながら、
いろんな勉強をがむしゃらにしながら、
とにかく業界の人間にならなきゃと
意気込んでました。
旅行会社とはまるで雰囲気も違って、
業務ももちろん違って、
その違いがいい緊張感を維持してくれました。
事務でずっとやっていくつもりは
なかったのですが、
営業するほどガツガツしてないので、
技術営業という職種に興味を持ち、
社内の技術営業の方に
いろいろ話を聞いてみたりしてました。
当時のマネージャーは
部署異動を応援してくれていたのですが、
そのころちょうど
コロナ禍になってしまい、
社内の部署異動は一斉にストップ。
いつ元に戻るかわからないまま
ただただやり過ごす訳には
いかなかったので、
プリセールスSE
という肩書きを目指して
また転職を
決意しました。
セキュリティ業界を選んだ理由は、
自分に勉強を強いるためです。
根性がないので、
環境がないと継続できないと
分かっていたのです。
毎度毎度
よく仕事見つかったなと
今思うと本当に
驚くような話ですが、
ギリポテンシャル採用という枠で
プリセールスSEの肩書きを手に入れた訳です。
狙い通り、
死ぬもの狂いで勉強しないと
ついていけない生活を
手に入れました笑
サイバーセキュリティは
ITのあらゆるものを護るものです。
そのためには
それなりの知識が必要です。
もっと言うと、
護る対象のことも
分かっていないと
守りようがないですし、
ビジネスや営業プロセスを理解し、
お客さんや取引先の事情も
組んであげられなければ
良いプリセールスSEとは言えません。
何も知らない状態で飛び込んで
どうやって生き延びてきたか
不思議ですが、
色んな人に助けてもらいながら、
基礎を学び、
並行して今必要な特定の知識を
頭に叩き込み、
時に文句を言われながら、
無理矢理プリセールスSEを
演じてきました。
でも今はとにかく
この業界に来て良かったと
心からそう言えます。
色んな知見・専門性を持った
プロ意識の高い人達と
共に仕事ができるのは
なんとも言えない経験です。
また、セキュリティを含め
ディフェンスという概念は、
本気でやってくる相手、敵を
難なくいなして無力化するという
かっこよさを感じます。
そんな業界の人間でいられるのが
嬉しいです。
もちろん全く一人前ではないですし、
これからもずっと学び挑戦し続けたい
と思ってます。
長くなりましたが
面接以外でここまで自分の経歴を
思い返すこともなかったので、
いい機会になりました。
ここまで読んでいただいた皆さんは
お気づきかもしれませんが、
30代前半で既に4回転職してます。笑
その中で転職のときに
気をつけていることはと言うと、
5つあります。
全部自分の中で
そうだと言えるものを
作り出せばいいんです。笑
ただ転職においては、
評価される場面においては、
どう見せるか
が重要だと思っています。
だから1から4を自分の中で
しっかり持っておいて
5でストーリーを
ぼんやり考えておけば、
筋の通った
過去から将来までの
自分のキャリアパスイメージを
言語化して
伝えることができるはずです。
情熱を持っていると
そう見せることが
できるはずです。
あとは、
今できることを
自分の責任で
ひたすらやるだけです。
この1〜4については
また今度詳しくはなせたらいいな
と思います。
もし、
自分に何かを強制する環境に
飛び込むのであれば、
必ず自分の挑戦を
話せる相手を
見つけることをお勧めします。
人がいなければ
Xとかでもいいです。
日記でもいいです。
吐き出すことが
頭のもやもやを
取り除ける最善の方法
だと思うからです。
なんなら
文字に残すと
後で見返せることが
良いことにつながるかも
しれません。
あとは必ず何か一つ
楽しいことを並行して定期的に行うように
することをお勧めします。
一つに囚われると
良いことはないと思うからです。
僕の場合は、
サポートしてくれる人が周りにいたから
ここまでこれたと確信しています。
ということで、
皆さんの転職の勇気づけになることができれば
幸いです。
何か転職で悩みなどあれば
考え方とかであれば相談に乗れるかもしれません。
お気軽にご連絡ください。
最後にアドラーが残した"人生の意味とは何か"を記して終わります。
人生の意味など何もない。それはあなたが自分自身に与える物だ。
ではまた。